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今回は、長野県にある「伊那ハーレンバレー・パカパカ塾」を取材しました。
「パカパカ塾」は、子どもたちに、ポニー飼育を中心とする体験学習等の事業を行い、
その健全育成に寄与することを目的とした特定非営利活動法人(NPO)です。
塾長の春日幸雄先生は、小学校教師として現場主義を貫き、
動物の飼育によって子供たちの心を育む教育に情熱を傾けてこられました。
信念に基づいたその教育方法は、TBS・ギミア・ぶれいくや、
テレビ朝日・ニュースステーションで放送され、人々の共感と感動を呼んできました。
定年退職後も、飾らない信州弁で、常に子どもたちと同じ目線で考えるその姿勢は変わりません。
春日先生の指導理念を伺いました。




小学校の教員を定年退職することになった時、
これまでの活動を支援してくれていた人たちから「先生、もったいない」と言ってもらった事がまずあるな。
子供たちがヘンな事件を起こしたりする中で、このまま辞めちゃっていいのかと。
なんとか続けて出来ないものだろうかと。
それで、まぁ、体の動けるうちはなんとかやってみるかと思ったわけだな。
何か少しでも社会のお手伝いが出来れば、プラスになれば、そんな思いでね。







要は、「相手の気持ちを分かろうとする」ことが一番大切。「思いやる」までいかなくてもいい。一歩立ち止まって、相手が何を考えているか分かろうとすること。
それが出来れば、最高の学力だと思っているんだよ。











かつては「行間を読む」「読後感」「作者の意図を探る」というものが、
最終的に深い学力という捉え方をしていた。ところが、「行間を読む」なんて今では死語だ。
でも、そういうものが本当は欲しいわけだよね。
確かに、心は見えない。結局、子どものつぶやき、目つきや顔つき、そういうものを丁寧に見て行くしかないね。

オレはね、重要な仕事は『フン取り』だと思っている。
フン取りには3つのタイプがあってさ、フンを取れって言うと、まずフンだけ取るタイプ。
びっくりしたよ、オレは。結構いるんだよ、そう言うタイプが。
次に、そこにあるワラも一緒に取れるタイプ。
そして、小さな厩舎全体を見回して取れるタイプ。
そういった3タイプがあってね。これは『3タイプの学力』みたいなものだとみてるわけ。
まぁ、『フン取りに置ける学力』ってもんだな。

例えば、就職して勤めた時、コピー取ってこいと言われてコピーだけ取って来るようなタイプ、
これはフンだけ取って来るようなヤツだ。 ちょっと周辺もみて出来るタイプ、それから気が利いて全体をみて仕事が出来る、 相手の要求の真意を汲んで対応出来るタイプ。 こういった大きな3つのタイプがあるように思うし、子どもの育ち方でそういう風に分かれてくるんだよ、反応が。 だから、今までみていても、フン取りがきちんと出来る子は学力も高い。いわゆる『自然学力』ってヤツだな。これは不思議だぜ。

うんとワガママな子が塾に入った時がある。すぐにイヤになるだろう、その時が勝負だと母親に話しながら、なんとか引っ張って体験させて行った。 その子が馬に乗った時、ワガママだから「進め!進め!」って言うわけだ。 訓練されている馬だから、最初の1、2周は乗れるわけよ。でも、3周目くらいになると、馬だって馬鹿じゃねぇ、もう動かせるもんなら動かしてみろって、足に根が生えたみたいに動かなくなっちゃうんだ。
そうすると子どもは、上から「進め、コノヤロー、なんだバカ」とかやるわけだ。馬は平気な顔をして、「なにこいてるだ、動かしてみろ」っていう調子になってる。
そうした時、その子の母親に言うんだ。「見ろ。あれはな、息子の今の姿だ」とね。 なんでも言う事を聞かなくなりゃ、このバカヤローって蹴飛ばしたりする。 同じ目線になって世話をしたりとか、一緒に働くとかして、馬の気持ちがわかるようになった時、馬と同じ立場になった時に初め言う事をきく。そういうモノだぜ、馬ってモノは、という話しをしてさ。

その子は1年3ヶ月くらい「やめる、やめる」って、言っていたかなぁ。
それでも、中学に入っても通って来た。部活も入ったけど、帰宅部みたいなもんでここにしょっちゅう来てた。そしたら、中学3年になった時、それまで学年で70〜80番くらいの学力だったのが、半ば頃から10番以内に入ったんだ。
家庭教師なんかつけてないよ。その後つけた時にはオレはうんと怒ったんだけどさ、バカじゃないかって。

仕事がどんどん出来るようになるし、みんなに指示が出来るようになる。 今まではそう言う事は出来なかったわけだ。自分の仕事はできるようになったけど、人に指示するなんてそんなことは出来なかったの。それが、全体的に目が回るようになってきてさ、それだけ学力的にも伸びたんだな。






体当たりでやった時、一番かえってくると思ったからだろうな。
中学生くらいになると、もう、口先三寸というところが出てくるからね。
小学生だと、例えば馬の飼育で、こちらが要求すると、
このくらいと思った以上のものがバーンとかえってくる。
こっちも「よぉし、やるじゃないか」とばかりに、次また勝負してみろと投げる。
すると、またそれにかえしてよこす。
こういうのが、本当の教師三昧だと思うけどね。
その辺は、うんと味あわせてもらったね。

オレが子どもの頃、山で木を切って大きな岩にその木を渡して遊んだりしたことがある。
そしたら、青年会の人に会っちゃって「やばいな、これは怒られるな」と思っていたら
「これはお前たちが自分で切ったのか。よく切れたな」なんて言ってくれてさ、すげぇなと思った。
昔は受け入れる大人がいたのよ。

教育って言うのは、全部大人の責任だと思っている。子どもの責任は一つもない。
子どもは、今の世の中に、突然放り出されるんだからさ。
簡単に言えば『負けない子どもになってもらいたい』。根はそれだけだけよ。








子どもは大人が思っている以上の力を出すもんだなぁって言う事だな。

小学校でポニーを飼っていた時、子どもたちが交尾をさせて妊娠させたりとか、
産小屋を自分たちで作り上げたりとか、神社の奉納用に千匹馬の巨大絵馬を完成させたりとか。
こうやってみると、一つ一つのファクターみたいなものがいっぱいあるけれど、
どれをとっても、いやいや、結構やるもんだなぁ、と。

本当は、うんと失敗させる経験をさせにゃいけんと思いながらも、どうしたって手順を踏んで、
つまずかないようにしていた部分もある。アレは、あんまり良くなかったかな、とも思うんだけどね。
全部成功させたのは、良かったのか、良くなかったのかなぁ・・・。

本来の「生き方」って言うの?オレはそこまでは到達できんけれど、
例えば馬を飼っていたら、子どもたちはみんな馬肉を食べない。
本当は馬肉も食わせるようなところまで持っていかにゃいかん、なんて言われもするけど、
これがなぁ、なかなか難しくて。
馬を飼っていたクラスの子どもたちは、今でも馬肉は嫌だって言っているよね。
卒業したある子が面白いことを言っていたよ。
「都会の子は全体で捉えられない。例えば、肉はトレーに乗って売っているのが肉で、
それは個体から取られて来た感覚がない」って。




う〜ん、動物の「生き死に」は、命の問題として確かに現実的だと思う。
だけどね、『自分の大切さ』というものについて、実際の体験をして生活する事が、
命の大切さを実感する事につながると思うんだよ。そのプラスをどういう風にするかというね。
一発でいいなんてことはあり得ない。小さな出来事の積み重ねなんだな。

今、塾で出来なくて決定的に残念なのは「カマで牧草を刈らせる」こと。
これは絶対指を切るのよ。小学校の時は20人から30人くらい、みんな切って医者に行っている。
そして、切れば痛いって言う事が身をもって分かるわけよ。
そうするとね、そうした子は絶対に刃物で人を刺すなんてことはしない。
「痛い」ということが分かるからさ。その辺が惜しいところだな。

馬は毎日エサを食べるけれど、塾の子どもたちは週に数度しか来ない。
馬1頭にクラス全員の子が毎日世話していた時と違って、塾には何頭もの馬がいるし、
刈りきれないということもある。エサを毎日自分で取って与えるってことは、愛情であり、
生活につながるから、うんと大きい事なんだけどね。

伊那は馬の多い地方だった。
昔、若者はみんな馬を1頭飼っていて、毎朝山で草を刈っては3束くらいにして、
馬の背中に乗せて小屋に戻って放り込んでおくんだ。その日の分のエサとしてね。
そこに糞をしたりすることで堆肥になっていく。それを「ふませ」って言ってさ、
毎日キチンと世話していればどんどんたまって、馬小屋の床は高くなっていく。
昔のおばあさんたちは、嫁を出す時になると、嫁ぎ先の馬小屋を見てこいって言うんだよ。
馬の背中が天上に付くくらいの飼い方をしていれば、その若者は良い。そこに嫁に行けと。
毎日のエサというのは、そのくらい判定の基準だったんだよ。

この「エサやり」の代わりが、今「フン取り」になるわけだ。
「体験」することがうんと大事。「体験」して「自分で感じる事」がね。







先生たちも体験がうんと狭いわけよ。どうしても頭の中で考えて来たからね。
だから、人間関係についても、何か問題があれば右往左往しちゃう。
例えば、子ども同士ケンカして相手を傷つけたりすると、それはものすごい大事(おおごと)になっちゃうんじゃないかな。
ここじゃ「いてぇか?そりゃいてぇなぁ」って、それだけ(笑)。
後で、かあちゃんに「おい、ちょっとやっちゃったぜ」「おい、やられちゃったぜ。頼むぜ」って。







うん、そうね。定年の時、活動をずっと支援してくれた人が言ったもんな。
「先生ご苦労様でした。子どもの教育より親の教育の方が5割以上でしたね。
いや、7〜8割は親でしたね」って。
今、子どもの教育が問題になっているけど、本当に必要なのは親の教育よ。
今の親はさ、うんと不安なのよ。若い母ちゃんたち、自分の人生経験もたいしてないのに、
それを子どもに注入しようとするから、もっと子どもが小さくなる。
昔は、子どもは自然の中で育っていた。学校から帰って野良へ出て、
父ちゃん母ちゃんが一生懸命働いている背中を見て、自分も頑張らなきゃいけんと。
風呂焚かないと、子守りしないと、ってそれぞれが自覚して働いたんだよ。
今は、やらされている、やったらいくらくれる。そんなふざけた事になる。
家庭の一員だと言う自覚が何もないよな。
全体がおかしいんだと思うよ。今の社会はね。






それは小学校で教師をしていた時から変わらないな。

『自分さえ良ければいいというのは許さない』
『いい訳は許さない』
『友達をバカにすることは許さない』


この3つはぜったい許さんぜ、と。これはずっと変わらないね。
いい訳をしちゃいけないとか、友達をバカにしちゃいけないは分かっても、
「自分さえ良ければいい」って言う事は、子どもにはなかなか分からないわけよ。
噛んで含んで、ココがこうだからこうだと言って聞かせてはじめて
「ああ、そうか」と分かってくるんだけどね。
それは、塾に1週間に1度や2度くるくらいでは子どもはなかなか分からないね。



する、する!そんなものはブンブンするよ。
でもね、結局、馬に乗れるか乗れないかが勝負だから。御せるか御せないか。
それは理屈じゃないんだよ。「さぁ、やってみろ」となってくるからね。
やっぱり、体験という事は、そう言った点でうんと大事だね。
理屈ばかり言っているうちはダメだと思っている。
小さい頭で考えて、ぶつかってくるだけでもイイといえばイイ。その根性がね。
そしたら、さぁ、来るなら来いってものでね(笑)。









小学校で初めてポニーを飼った時、日教組の講演に呼ばれたことがあるんだよ。
そしたらさ、はじめからダメだったよ。「勤務時間はどうなっていますか」とかさ。だから「こういうモノは道楽だ。道楽に時間なんてないぜ。
子どもの心に火をつけるのに勤務時間で出来る?」って、逆に聞いてさ(笑)。
周囲も笑い出しちゃって「先生、道楽っていうんだから」って(笑)。

当時、酒鬼薔薇事件とかがあって、ああいうものをどういう風に分析しているかって聞いたら、
話には出るけれどそんなものは問題にならないって言うんだよ。
ナントカ会議なんていっても、まったく取り上げない。やっぱりなぁって・・。
その反面、学科の枠に入りきらない活動の呼び名を何と言うか揉めていてね。
「生活科」とか「視聴覚教育科」、「環境科」なんていうのもあった。どれも何だか良くわからない。
結局「総合的学習」とかに落ち着いたけれどね。

国の元からいい加減なんだよ。
本当にやる気でいるなら、教育にお金をかけて、先生たちにしっかりお金を出して、そのかわりしっかりやってくれと。
今は、どこにもまんべんなく金を出して、足りなくなればまんべんなく金をかっさらうみたいなさ。
だからオレは、こうしたNPOみたいな、下から起こして行く運動が無数に広がらない限り、どうしてもうまく行かないんじゃないかと思うね。
上からお仕着せみたいにやって行くのは、これからはなかなか期待出来ないとね。
小さな運動が無数に網の目のように出来ていけば、また変わって行く事も出来ると思う。

ウチは不登校児の受け入れもする。
中間教育として認めてくれた教育委員会の地域から来る子は、ここにくれば登校と見なされるわけ。
すると学校側も喜ぶ。総合的に出来るわけだよね、お互いに。
こうした形のものがいくつも出来てくればいいんじゃないかな。
馬が嫌でも、違う形の受け皿があればもっと広がるだろう?
こうして、草の根的に広がればいいなと思うね。




今後の課題は、後継者をどうするか。そして、どう繋げて行くか、だな。

今までの活動、現在。自分がやれることはやってきた。さぁて、次だ。
教え子の中にも、ここを手伝いたい、オレと一緒にやりたいって言って来てくれた子もいた。
でも、・・経済的な問題で採用出来なかったんだよ。
そこが、一番難しいところだな。

経営としては確かに難しい部分がある。ここは、月謝をとって働かせてやるっていう形にみえるからな。
算数の点あげてやるって言えば、親はすぐに金を出す。
だけど、馬のフン取りだもんな(笑)。一番大事なところをやっているんだけどね。
現代の教育には反する、みないな所もあるわけだ。
だから、飛躍的に増えるってことは、なかなかないんだよ。

自分の気持ちとしては、宿舎を建てて、全国から子供たちを受け入れたいと思っている。
実際、問い合わせもある。そのためにも、確固たる経済基盤を作らないといけない。
もう少し余裕ができれば、スタッフが置ける。そうすると楽になるし、一緒に夢を語れる。
そして、延長線上ではなく、放射線状の展開が出来ると思うんだよ。

これからは、例えば企業の中でも「心の問題」があると思う。大人の問題は大いにあるからさ。
大人にこそ、心の充足感を持ってもらいたい。
今、大人も受け入れられる『人間学校』みたいなものが作れないかと言う構想もあるからね。
だから、なんとか繋げて行ければと思っているよ。






これほど志のある活動が、もし金銭的問題でつながらないとすれば、それは本当に残念でならない。
全国の心ある方達、企業からの応援を真に期待してやまない。
そして Revive では、これからも「パカパカ塾」を応援します!

パカパカ塾主催「モンゴル・ホースオーナー募集」のページも是非ご覧下さい。