
ミュージシャン/MAMA GUITAR ママ・ギタァ ヨーコさん
ハッピー・オーラ満載のピンクのCDで世界進出

トラックの重ね方もシンプルで、2テイク程のスタジオ・ライブに近い形で作られているために、ライブとの差も少ない。その点でも60年代風だ。
ちょっと舌ったらずの軽くて甘い英語のボーカルと、ブライアン・ウィルソン・オマージュ的サウンドを持つこのガールズ・バンドは、東京のガレージバンドシーンではカルト的な人気があったらしい。当時のライブ映像は、MySpaceやYouTubuで見ることができる。60年代風のワンピースに身を包み、ウィッグで作ったビーハイブ・ヘアーの三人の『健全さ』は、アングラ・ガレージロックシーンではかなり特異だ。
テレビCMにも既に登場!
東京のガレージバンドシーンには全く関心がない人でも、実はMAMA GUITARの歌はきっと一度は聞いているはず。数年間の「♪シャララーラ、シャラララーラ、シャララーラ♪」で始まる“Do you have a HONDA?”CM『CUB編』。ここで流れていたのは「日曜日よりの使者」MAMA GUITAR・バージョン。
さらに雑誌『ゼクシィ』のCMで、「♪タラララーン、タラララーン、タタタ・タンタタタタ・タンタタタ♪」というウエディング・マーチをアカペラで歌っていたのもMAMA GUITARだ。
2006年までは精力的にアルバム制作や国内外でライブ活動を続けて来ていたMAMA GUITAR だが、2007年以後、メンバーの個人活動や、充電と休養も兼ねてバンドとしてのライブ活動は休んでいる。しかし先日秋葉原で会ったドラムのヨーコさんは、「ライブを休んでいた間に、かなりの曲がたまってしまったので、是非それをアルバムにして出したい」と、今なお『現役』であることを宣言してくれた。
海外音楽フェスにも参加
2001年6月に MAMA GUITARはソウルで開催された、韓国と日本のインディ・レコードの共演ライブに参加し、その時のライブ盤が2002年に所属するキャプテン・トリップ・レコードからリリースされている。
ついで2003年夏には、ドイツのプログレッシブ・ロック界の重鎮「GURU GURU/グルグル」のドラマー、マニ・ノイマイヤー氏(Mani Neumeier)が主催した、フィンケンバッハ・野外フェスティバル(Finkenbach Open Air Festival) にも唯一の日本人バンドとして参加した。その時のライブは、ドイツ輸入盤『MAMA GUITAR/ IN GERMANY』(33rpm 10インチ)で聴く事ができる。
イイジャン、イイジャン!海外に行って遊ぼうよ!

インターネットで見つけた『キャプテン・トリップ・レコード』という小さなレーベルに、デモテープを送ったことから、MAMA GUITARの世界進出は始まった。『心地よい音楽を世界に紹介』することをモットーにしているこのレーベルを選んだのは、「自分でも海外によくコンサート・ツアーで行っている人がやっていたから」とヨーコさん。
「まずデモテープを送り、ライブを見てもらったのがきっかけ。多分、私たちのスタイルからだと思うんだけれど、『イイジャン、イイジャン!じゃあ、海外に行って遊ぼうよ!』という感じでまず声をかけてもらった。CDが出せたのも、海外のミュージック・フェスに参加できたのも、その人のおかげ。良い人に出会えたことで道が開けた。すごくラッキーだったと思う。それから最初からずっと英語で歌っていたことも、海外に行けた一因だと思う」。
更にMAMA GUITARは、新宿のクラブでザ・ホワイト・ストライプス(The White Stripes)と共演もしていた。なぜ・・・?
「いやぁ、共演と言っても主催者側が勝手に企画しただけで、向うには私たちなんて全く目に映っていませんでしたけどね・・・」とヨーコさんは笑う。彼女もジャック・ホワイトとメグ・ホワイトが何を演奏したのか、全く覚えていないそうだ。「今現在の音楽は余り知らないんです。その意味では幅が狭いんです・・・」。
MAMA GUITARのはじまり
MAMA GUITARの三人が『こよなく愛する』のは、60年代の音楽とファッション。J-POP隆盛の当時、三人はなぜか最初から海外進出を狙い、歌詞は全て英語と決めていた。但し帰国子女や留学経験者はいない。
「英語の歌詞の完成度は、宇多田ヒカルより低いと思う。ただ、私は英文科だったので、ジュンの書いた日本語の歌詞を英訳したりもする。英語で歌詞を書くことで、ワンクッションはいる。繊細でシャイなジュンが自己表現をするためには、これは『好都合』なこと。レコーディングの前には、一応ネイティブにチェックして貰っている」。
最初はアニマルズ、ビートルズ、シャングリラズ(Shangri-las)のカバーも演っていた三人だが、そのうちにオリジナル中心に変った。これまでのオリジナル楽曲は全てギターでボーカル担当のジュンさんが作り、そのサウンドはブライアン・ウィルソン風。彼女の音楽的志向が強く出ている。
一方、「アニマルズやヤードバーズ、スペンサー・デイヴィス・グループが好き」というヨ−コさん。スティーブ・ウィンウッドのソウルフルな歌声とブリティッシュ・ビートと、サーフ・ミュージックの間にはかなりのギャップがある。サウンドの方向性に、違和感がなかったのだろうか?
「確かに最初は少し違和感があった。だから最初の頃は、私もベースの子も、それぞれ曲を書いていたけれど、ギターの子には太刀打ちできなかった。ジュンの楽曲の完成度は、私たちより遥かに高かったので、『もうお任せします!』っていう感じ。それに彼女はいつもアレンジまで全て完成させた形で、曲を私たちに提示する。単純に良いものはいい。かなわないとも思った」。
◇ コーヒー・ブレイク:
ヨーコさんは、「MAMA GUITARは楽曲を作っているジュンのバンド」と言うが、“Mama Guitar’s Holiday”の歌詞ブックの最後のメンバー紹介を読むと、他の2人のメンバーは、『屋台骨』的リーダーはヨーコさんだと思っていることが分る。『彼女が刻む正確なリズムはMAMA GUITARサウンドの基盤であり、彼女が発するハッピー・オーラとエネルギーがMAMA GUITARの機動力で、音楽の方向性を決めている』と書かれている。充電期間を終えて再登場した時のMAMA GUITARの音がどうなっているか、興味がある。三人ともまだ30代!あと10年間は、よりパワーアップした、明るく楽しいポップな曲を聞かせて下さい。
ヨーコさんは、「MAMA GUITARは楽曲を作っているジュンのバンド」と言うが、“Mama Guitar’s Holiday”の歌詞ブックの最後のメンバー紹介を読むと、他の2人のメンバーは、『屋台骨』的リーダーはヨーコさんだと思っていることが分る。『彼女が刻む正確なリズムはMAMA GUITARサウンドの基盤であり、彼女が発するハッピー・オーラとエネルギーがMAMA GUITARの機動力で、音楽の方向性を決めている』と書かれている。充電期間を終えて再登場した時のMAMA GUITARの音がどうなっているか、興味がある。三人ともまだ30代!あと10年間は、よりパワーアップした、明るく楽しいポップな曲を聞かせて下さい。

バンド歴16年
19歳の出会いから16年余り。三人はメンバーチェンジもせず、活動を続けている。
「もちろん、挫けそうになることはしょっちゅうあるし、喧嘩もよくする。ただ流石に最近はみんな大人になって来たので、以前のような喧嘩はない。何度も活動を休んだ事もあったし、今もライブは休んでいる」。無理をしない---このマイペースさが、長持ちの秘訣かもしれない。
「バンドを組んだ最初の頃は三人で集まってバーベキューをしたりと、とにかく一緒に遊んでいるほうが多かった。きちんとバンド活動をするようになったのは大学卒業後」。
学生時代はバンド活動が生活の中心でも、卒業が近付くと『社会人化』する周囲とは反対に、バンドを卒業後の生活の中心に据えていた三人は、正社員として就職することを断念。ヨーコさんは渋谷の丸井で洋服の販売員として働きながら、新宿でバンド活動を続けた。「コンサートやツアーで仕事を抜ける時間が発生してしまうため、正社員では回りに迷惑がかかる。そのために、非正規雇用の販売員に職種が限られる」と話すMAMA GUITARの三人は、筋目をきちんと通す、誠実で甘えのない女性たちだ。
将来の夢
一年前に一児の母となったヨーコさん。胎教のために頑張ってクラシック音楽をと思ったが、一回で止めてしまった。「それ以後は普通に、自分が聴きたいものを一緒に聴いていました」。母になった彼女の夢は、ドラマーとして演奏する自分の姿を息子に見せること。
“Mama Guitar’s Holiday”の歌詞ブックの表紙にも映っている、彼女の赤いフレームのドラムは、ビートルズのリンゴ・スターが来日公演で使ったYamahaのドラムだ。所属するキャプテン・トリップ・レコードは東京タワーの鑞人形館の関連会社で、たまたま事務所に行った時に、鑞人形館の裏に放置されているこのドラムセットを彼女の仲間が発見。キラキラ輝く赤いバスドラのフレームが気に入り、後日、友だちと車で貰いに行った。もちろんタダだったが、シンバル類や椅子は付いていなかったという。「直ぐにドラムを張り替え、バスドラにはMAMA GUITARの名前を入れてしばらくは使っていたけれど、今では実家で大切に保管している」とのこと。