ステキなひとにあいました

2011年3月
日本は1000年に一度と言われる大災害に見舞われた
観測史上世界4番目となる大地震
一瞬にして多くの貴重な命を奪った巨大津波
なお予断を許さぬ原発問題

言葉に出来ない不安感に包まれるなか
すっくと立つヒトがいる
岡本太郎
全身全霊 魂のありったけで生を貫いたそのヒトは
奇しくも今年 生誕100年を迎えた

まるで
今こそ このオレを見よ と言わんばかりに

—人間はもっと全人間的に生きるべきだ(『芸術は爆発だ!』)

岡本太郎がこの世に生を受け、今年で丁度100年となる。

東京国立近代美術館では3月8日から『岡本太郎展』が始まり
続いて4月16日から川崎市岡本太郎美術館でも『人間・岡本太郎展』が始まる。

相次ぐ展示会の陣頭指揮をとっているのは
美術評論家であり岡本太郎美術館館長を務める村田慶之輔さんだ。

3月末、岡本太郎美術館を訪ねると
村田さんはうずたかく積まれた資料と本に囲まれていた。
ひっきりなしにやってくる原稿依頼の締め切りをこなしながら
記念すべき企画展の準備に追われる日々。
多忙の中、会場の平面図を指し示しながら熱っぽく語って下さった。


『太郎はいろんな分野の文化人と交流があってね。
 丹下健三だとか、イサムノグチとか
 北大路魯山人とかね。
 でも、若い人たちには‘は?’てなもんでしょ。
 ダメなんだよ、もっと分かりやすい人たちを
 入れなきゃ。今の人たちを入れろって。
 いくら高尚だっていっても知らなきゃどうしようもない。
 面白くもなんともないよ。
 コチコチに考えたらダメだって、いっつも
 スタッフに言ってるの。』

頭の中は常にくるくると回転して、いつも怒っている。

『岡本太郎って、なんだかわかんないんだよ。あれもこれもやって、交遊範囲も広くて。
 だからボクはね、近代美術館のカタログに“太郎の美術”なんて書かなかった。
 太郎がやってきたことをズラズラっと並べてね。タイトルは“岡本太郎のはなし”(笑)
 ‘岡本太郎の美術的評釈の時代は去った’って書いちゃった』

大きな眼を光らせていたずらっぽく笑う。
岡本太郎は精力的で情熱的、そしてお茶目な子どものようだったと言うけれど
村田さんもどこか同じような‘匂い’がする。

「本職?そんなのありませんよ。バカバカしい。
 もしどうしても本職って言うんなら、『人間』ですね」
 みんなが笑う。どうして笑うんだろう。
 生きがいをもって猛烈に生きること。
 自分のうちにある、いいようのない生命感
 神秘のようなもの、それを太々とぶつけて出したい。
(『眼—美しく怒れ』)

太郎の活動は絵画にとどまらない。彫刻、版画、書、写真、映像。
芸術の枠も軽々と飛び越して文学、哲学、民俗学、はては舞台やテレビへと広がっている。
フランスで美術以外のことを徹底的に勉強した太郎は何についても一家言があり
様々な分野の人間に思想的に影響を与えた。

企画展の設計図を見せて頂くと、展示会場自体が
岡本太郎その人そのものだとわかる。
会場の中心に置かれる太郎の作品群は心臓。
ジャンルごとに分けられたブースは
体のパーツのように周囲に配置され
交流のあった人々の作品や映像を展示する。
ぐるり回ると岡本太郎の全体像が浮き上がる仕掛け。
会場内には、一貫した太郎の思想や哲学が
血液のように流れている。個人名を冠する
美術館ならでは、ワクワクするような試み。
しかも、会場内には館長室も設え
自らも太郎の内部に入り込むという。
運が良ければ‘展示されている’村田さんに
会えるかもしれない。

岡本太郎50年来の秘書にして養女である岡本敏子さんはこう語っていた。

彼の職業は「人間」。もっと言えば「岡本太郎」だった。
(『芸術は爆発だ!』)

敏子さんの思いがそっくりそのまま形になったような企画展『人間・岡本太郎展』。
ここには、村田さんの思いも込められている。

2005年4月、敏子さんが急逝した時、追悼文『わが意中の人』の中で村田さんは
あるエピソードをあかしている。

—来年は岡本太郎が亡くなって10年になる。没後10年記念と銘打つのはどこもやめて貰おう。やるなら生誕100年展をやろうね、と敏子さんと僕は約束してあった。それは2011年。そういうときの敏子さんの眼はうっとりしている。—

この約束を胸に、今、奔走しているのだろう。

—人間はその数だけ、それぞれ、その姿のまま、
 誇らしくなければならない。
(『眼—美しく怒れ』)

岡本太郎美術館の館長として「太郎評論」専門家のように思われがちな村田さんだが
生前の太郎との接点は意外にも少ない。

『岡本太郎は美術界では一匹狼でね、画家や評論家との交流は少なかったんですよ。
 鋭い切り口でズバッと皮肉を言うからね。しかもそれが当たっている。だから、同業者
 はもちろん、ほとんどの評論家は彼を敬遠していた。ワイワイと語らうのは文学者とか
 異業種の人間たちばかりで、美術関係者のパーティなんかでは彼はいつも一人でぽつん
 としていたそうだよ。ボクも、ピチピチしていた頃の太郎はあんまり知らないんだよ』

村田さんは‘文化庁随一の美術専門家’として数々の事業に携わってきた。
大阪万博の際に建てられた万博美術館が国立国際美術館として改装オープンする時、山積した問題を処理したのも村田さんだった。
数々の武勇伝も伺ったが、相手の名誉のためにここでは伏せておこう。
奮闘の甲斐あって1977年に美術館は無事開館。それから15年を関西で過ごすことになる。

『文化庁にも飽きてきたし、関西で和食を食べよう
 と思ってさ(笑)。ボクは肉とワインばかり
 だったからね。日本酒も嫌いだったけれど、
 関西の味には日本酒が合うんだよ。
 関西の日本酒は美味しいねぇ(笑)』

粋なことをサラリと言う。本音だから全く嫌味がない。
こんなところも、どこか太郎に似ている。
敏子さんが‘ワタシのボーイフレンド’と
呼んでいたのもさもありなんだ。

国立国際美術館にはそのまま館長として残るはずだったが、
様々な事情から村田さんは辞する事となる。


誤解される人の姿は美しい。
人は誤解を恐れる。
だが、本当に生きる者は当然誤解される。
誤解される分量に応じて、その人は強く豊かなのだ。
誤解の満艦飾となって誇らかに華やぐべきだ。
(『芸術は爆発だ!』)

村田さんが関西から戻った頃、太郎は存命だったが病気療養中。
ここでもまださしたる接点はない。

『ただ、神戸で小さな展覧会があってね、これが太郎さんの最後の展覧会になったんだ
 けれども、偶然にもボクはこの最後の展覧会を手がけた一人なんだよ。
 会場に太郎さんも呼んでね。もう病気で介護が必要だったけれど、作品についてだけは
 バッと話してたなぁ』

万博ゆかりの美術館。最後の展覧会。太郎の魂は村田さんを徐々に引っ張っていたのだろうか。
太郎が亡くなった後、岡本太郎美術館の立ち上げに難航していた川崎市から
「切り札」として招聘を受ける。その時オープンまで後1年余り。
普通なら怖くて手を出せないが、村田さんはあっさりと委員を引き受け
懇願されてそのまま館長に就任、今に至る。

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。
ほんとはそっちに進みたいんだ。
だから、そっちに進むべきだ。
ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、
これは自分にとってマイナスだな、危険だなと
思う方を選ぶことにしている。
(『自分の中に毒をもて』)

こうして岡本太郎とがっぷり四つに組んで関わる事になったが、村田さんのスタンスは変わらない。

『ボクは太郎で一生飯を食うつもりもないし、今も one of them of artist。
 だからひいてみられる。比較しながらみられるわけだ。』

生前、岡本敏子さんは「太郎巫女」と称していたが
村田慶之輔さんは「太郎 closer」なのかも知れない。

—エクセ・ホモ ( Ecce Homo この人をみよ)(作品名)

太郎の言葉にはドキッとする。
それは時代を超えて本質を突いているからだ。誰かの受け売りや空論ではなく、
自分の内側から絞り出し実行した、血みどろの生きた言葉だから。
特に、迷ったり、くじけそうな時には、面と向かって言われている気になる。

失敗したっていいじゃないか。不成功を恐れてはいけない。
人間の大部分の人々が成功していないのが普通なんだ。
パーセンテージの問題でいえば、
その99%以上が成功していないだろう。
しかし、挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの
不成功者とではまったく天地のへだたりがある。
(『自分の中に毒を持て』)

この時代、岡本太郎がいたら
何と言うでしょうと村田さんに問いかけてみた。

『いや、ボクはね、仮説は苦手』

この答えこそ美術評論家・村田慶之輔だ。

『確かに、今、太郎の絵を見て
 元気をもらったって言う人は多いね。
 太郎の絵には思想が叩き込まれているから。
 一番大切なのは、思想なんだよ』

自らが、太郎に会いに行って、魂でぶつかってみればいい。
そうすれば、岡本太郎はまっすぐに魂を返してくる。
難しい講釈はいらない。意味なんか分からなくっていい。
自分の中にドカンと熱いものが広がれば
その時、アナタもきっと、太郎と共に宇宙と一体になって
生命の躍動感を感じられる。
(協力:川崎市岡本太郎美術館)



生誕100年 人間・岡本太郎 展

会期
前期:2011年4月16日(土)〜7月3日(日)
後期:2011年7月7日(木)〜9月25日(日)

料金
一般900(720)円
高大学生・65歳以上700(560)円
中学生以下 無料
※( )内は20名以上の団体料金
※本料金で常設展もご覧いただけます。

休館日
月曜日(祝日を除く)
祝日の翌日(土日を除く)

川崎市岡本太郎美術館
〒214-0032 川崎市多摩区枡形7-1-5
TEL 044-900-9898
FAX 044-900-9966
http://www.taromuseum.jp/

Back Number

15:今を輝く 堀場園子さん
14:和妻師 北見翼さん
13:川崎市岡本太郎美術館 館長/村田慶之輔さん
12:八百屋 瑞花店主/矢嶋文子さん
11:舞踊家・アーティスト/はんなさん
10:画家/鰐渕優子さん
09:水中カメラマン/中川隆さん
08:創作ビーズ織り作家/佐古孝子さん
07:コナ・ディープ(ボトルドウォーター)
06:ミュージシャン/ヨーコさん
05:オルガヘキサ/相田英文さん
04:絵師/よしだみよこさん
03:一級建築士/嶋基久子さん
02:ニードルフェルティスト/華梨(かりん)さん
01:公認バース・エデュケーター/飯村ブレットさん