「和妻(わずま)」。
聞き慣れない言葉だが昔ながらの日本奇術のことを言う。
この「和妻」の世界に飛び込んだのが北見翼さん、20歳。
高校卒業と同時にマジック界の重鎮・北見マキ師匠の元に弟子入り。
そして「和妻」に出会い、ただ今、寄席で前座修行の真っ最中だ。
<和妻(わずま)とは?>
和妻とは・・・
手妻(てづま)品玉(しなだま)と呼ばれる日本古来の手品。
明治以降は和妻(わづま)とも呼ばれるようになった。
その歴史は古く、6世紀・奈良時代に仏教と共に伝来した「散楽」に端を発し、曲芸や歌舞の要素がおり混ざったもので、能や狂言と同じだと言われている。 手品または手妻と呼ばれるのは江戸時代からで、手がしなやかで「てしな」、手を変え品を変えで「手品」、手は稲妻(いなづま)の如しということから「手妻」になったと思われる。
代表的なものは、湯飲み茶碗や扇子などから水が噴水のように噴出す「水芸」。紙で作った蝶々がまるで生きているかのように動き出す「胡蝶の舞」。 舞台一面に傘が出てくる「傘出し」、両親指にきつく結んだこよりを切らずに日本刀やリングを通す「サムタイ」など、どこかで観た記憶が蘇るものばかりだ。江戸時代には趣味人や知識人に愛された知的な座敷芸として栄えたが、外国のマジックに押され衰退。一時期は伝統が途絶える危機にも瀕したという。
■ マジックヲタクな学生時代
翼さんは栃木県足利市出身。
自動車部品販売を営む父と、歯科衛生士の母との間に次男として生を受ける。
親族は全て理系。自身も頭の中は理系だと自負している。
中学生時代、藤井アキラや前田ともひろといったマジックニュー世代が登場し、口からトランプが溢れ出たりするテーブルマジックが流行した。 興味を持った翼さんは独学でマジックを習得。家族や親戚に披露したところ喝采を浴び、お小遣いをもらった。 人前で何かをする喜びを知った翼さんは、その後マジックにのめり込んで行く。
高校は地元の進学校に進むが校風があわず、2年生の夏、修学旅行を前にして誰にも何も言わずに退学。この時「マジシャンになろう」と明確に決意を固めた。
『とにかく地元を出たかったんです。
足利にはマジックに関することが何もなかったから』
東京を目指したかったが、自分にはまだ人間力が足りないとの不安があった。親の助言もあり、とりあえず大宮市にある単位制の高校に転校、実家から通学することを選択。この辺りが、根はマジメな理系の若者らしい判断だ。
学校には何の期待もなかったが新しい高校との相性は良く、楽しい学生生活が始まる。
何より、転校先の大宮市には後の師匠となる北見マキ氏が主宰するマジックスクールがあった。
「習うなら一流に!」と運命に導かれるように入校。この時は北見氏が日本伝統奇術・手妻の家元「養老派」を継承していることなど知る由もなかった。
デモンストレーションしながら手品グッズを売るバイトで実戦経験を積み、アマチュア大会にも積極的に参加。様々な賞も獲得し、バイトが縁で企業パーティなどの仕事も舞い込むようになった、高校3年生の時には、出身中学校の送別会に招かれマジックショーを行うほど腕をあげ、プロへの準備を着々と進めた。
■日本との“出会い”
高校卒業と同時に、もう弟子は取らないといっていた北見マキ師匠の元に押し掛け、
18歳で弟子入り。海外修行やプロダクション登録も考えたが、まずは芸を磨く道を選んだ。
しかし、社会のルールすらまだよくわからない現代っ子。
ましてや、芸の世界のしきたりともなれば推して知るべし。
『一般家庭で育ちましたし、まったく気が利かないほうなんで。
怒られても、その意味すらわかりませんでしたね。
師匠と並んで歩いちゃいけないなんて、当時は“え?何で”って感じで(笑)』
年齢の近い兄弟子もおらず、叱ってもキツネにつままれたような顔をしている弟子を持て余した師匠は寄席に預ける。こうして翼さんは、奇術界初の寄席前座修行の身となり、ここで師匠の演じる「和妻」を初めて目にすることになる。
寄席という限られたスペースで演じられたものだったが、
見たこともない和風マジックに翼さんは興味をひかれた。
その後、あるマジックフェスティバルで、関西を拠点に活躍する歌舞伎マジシャンの華麗でゴージャスなステージを見て度肝を抜かれる。
『びっくりしました。和風ってカッコイイ!!もう、大感激でした』
手先の技を披露するシンプルなテーブルマジックを見つめてきた翼さんには、きらびやかな和風のしつらえが新しかった。その思いを師匠に告げ、目標を「マジシャン」から「和妻師」に変えた。
それからは浅草という地の利を生かし、前座修行の合間には大衆演劇を観劇。日本舞踊も習い始め、洋服だった衣装も和服に変更した。時間が惜しいとバイトはせず、前座の給金と親からの仕送りに頼りながらひたすら修行に励む毎日。自宅でも寝る時間と食事以外は着物に着替えてほぼ自主稽古にあてている。
『日本が好きになりました。時代劇も観るようになりましたし、演歌も歌うようになった。
着物も仕草も生活も、昔の日本っていいなぁって。伝統的な日本の良さを知ったんです』
■新しい和妻を目指して
色物の前座修行は1〜2年。噺家に比べるとはるかに短い。
翼さんも今年の7月に2年間の修行あけを迎えることになっている。
晴れて一人前となるわけだが、おめでたいばかりではない。
わずかでも給金が出る前座と異なり、
自分の芸だけで食べて行かねばならない。
華やかな舞台とは裏腹に、厳しい現実がそこにはある。
それでも目指す「夢」がある。
『和妻エンターテナーになって奇術一座を立ち上げたいんですよぉ。
“ケレンミ”とかって、めちゃめちゃカッコ良くないですかぁ』
師匠の北見マキ氏からも「古典は50年前と変わらない。
そのまま今やっても仕方がない。新しい和妻を作れ!」と
ハッパをかけられ、7月の一本立ちに向け、和妻の新技完成を目指している。
もちろん、全く新しい技をすぐに生み出すのは至難の業。
古典を現代的にアレンジすることからはじめ、自分なりの個性を出して
「翼流」に発展させていくつもりだ。
『理系なんで、教えてもらいたいっていうか、決まったことをするのは得意です。
でも、創造力っていうトコはイマイチ苦手で・・』
最終目標は「舞踊奇術—新和妻」。
華麗に舞い、自分自身が古典の名作「胡蝶の舞い」の中にとけ込んで
一体化するような舞台を夢見ている。
『昔はマジシャンになりたかったですが、今は手品をひとつのツールとしてもっと全体像
を思い描いています。
そのためには、足らない物が多すぎる。踊りも、所作も、芝居も勉強したい。
芸の質を高めたい。感動を与える手品をしたい。だから、今は芸がすべてです』
弱冠二十歳。技も芸人としてもまだまだ未熟なイマドキの若者だが、「和妻」という、大衆に根付いた古典芸の火を灯す心意気だけは熱い。
常に新しさを求められるマジック界にあって“古典”という言葉には揶揄の響きが入ることもある。それでも翼さんは「ニッポンの奇術」に惚れ込んでいる
草食男子にオトメン。いろいろ現代男子が出たけれど、翼さんは温故知新な『和メン』。
ちょっとイケメン。ちょっと天然。寄席で礼儀と仁義と人情を学びつつ、芸人道を直走る。
新しいニッポン男子が創る、新しい和妻の時代が待ち遠しい。
●和妻師
北見翼さん TSUBASA KITAMI
本名:杉田尋生(ひろき)
出身:栃木県足利市
趣味:日本舞踊、ピアノ、剣道(1級)、
大衆演劇観劇
高校卒業後、マジシャンの北見マキ氏に師事。
現在、東京で一人暮らしをしながら、落語芸術協会で前座修行中。
15:今を輝く 堀場園子さん
14:和妻師 北見翼さん
13:川崎市岡本太郎美術館 館長/村田慶之輔さん
12:八百屋 瑞花店主/矢嶋文子さん
11:舞踊家・アーティスト/はんなさん
10:画家/鰐渕優子さん
09:水中カメラマン/中川隆さん
08:創作ビーズ織り作家/佐古孝子さん
07:コナ・ディープ(ボトルドウォーター)
06:ミュージシャン/ヨーコさん
05:オルガヘキサ/相田英文さん
04:絵師/よしだみよこさん
03:一級建築士/嶋基久子さん
02:ニードルフェルティスト/華梨(かりん)さん
01:公認バース・エデュケーター/飯村ブレットさん