ステキなひとにあいました
水中カメラマン/中川隆さん

かつて、テレビ朝日・ニュースステーションの中に「海の博物館」という特集があった。
普段私たちが目にする事の出来ない水の中。
日本のみならず、世界中で撮影された映像は圧倒されるほどに美しく、
時に激しく、驚きに満ちていた。
水と光のコントラスト。奇妙な姿の生き物たち。繰り返される生命の神秘。
それらを撮影していたのが、水中カメラマン・中川隆さんだ。



川の流れのように

大自然を相手に仕事をする中川さんだが、実は、東京生まれの東京育ち。
近所の石神井公園で水棲生物と戯れながら育った。
生き物が大好きな少年は真剣に環境問題も考えていた。
「この先アフリカの自然は残らないだろう。せめてその姿を残したい」と熱く燃えて
動物カメラマンを志望。この時、自分の人生のツールとして初めて「カメラ」を意識した。
しかし、動物好きの原点はサバンナではなく公園の池。運命は水へと導かれていく。

学校行事で訪れた鎌倉の七里ガ浜で波と戯れた時、
「海って、なんて楽しいんだろう!」と素直に感動。
海で生きることを素直に決心してしまう。
大学は海洋学部に進学。
海洋探検研究会でダイビングに明け暮れ、まさに「水浸し」の学生生活。
卒論のためにホームステイした沖縄県八重山諸島の黒島では、
自然とともに暮らす離島の文化に「これこそ人間の生きる道だ」と、
またもや感激。島が「第二の故郷」となった。

こうして、土台は揃っていったのだが、
この頃はまだ「水中映像カメラマン」になるとは夢にも思っていなかった。

『就職したのは水中の調査などをする
“水中土木会社”。言うなれば“水中土方”です』

ビデオを使った調査が得意な会社で、ダムの中など、特に過酷な環境にビデオカメラを持って入り、コンクリートのダメージ調査などをしていた。
調査という仕事柄、映すだけでなく、音声をつけたリポートもこなした。実は、この仕事が後に多いに役立つ事となるのだが、その当時は思いも寄らず「本来自分がやりたい仕事とは違う」と感じ、5年で退社する。

そんな時、水中カメラマンの先駆者である須賀次郎氏から
「日本テレビで黒島を紹介するのだが、手伝わないか」と声をかけられる。
「第二の故郷を紹介出来るなら行くしかない」と同行を即決。
「水中カメラマン」という職業すら良くわからなかったが、
潮の流れにのるように身を預けてみた。

河童誕生

須賀氏の会社に入って数年後、テレビ朝日・ニュースステーションで、世界各地の水中を紹介する特集が始まる。
そして、この番組と一緒に、中川さんの「水中カメラマン」としての人生がスタートした。
それまでは水中でカメラを持てる人自体が少なく、泳ぎながらぶれずに撮影さえ出来れば「水中カメラマン」と言えた時代。それを変えたのが、この時の担当ディレクターだった。
「陸上と水中のカメラマンに何の差があるんだ」とばかりに、水中にリポーターを入れ、撮影にもクオリティーを求めた。
調査カメラは回していても、映像カメラマンとしての基礎がないままに始めた仕事。構図も何もピンとこない。ディレクターが言っていることの意味すらわからない。容赦なくやってくる大掛かりな生中継の数々。撮影の度に叱られ、生来の負けん気だけでがむしゃらにくらいついた。
番組自体が「チャレンジ」をしていたことに救われていたが、中川さんには屈辱の日々が続いた。

『今でも、その時のディレクターは恐いです。でも、僕の恩師ですね』

今年、その恩師に初めて褒めてもらった番組がある。
さる9月5日、NHK総合「ワンダー×ワンダー」で放送された
『北の海 驚異のホッケ柱』。
中川さんが7年間あたためてきた企画だ。

『北の海 驚異のホッケ柱』番組概要
北の海に集まってきたホッケは、水面下に巨大な魚の柱を形成する。
その数6万匹以上、高さは15mにも達する。その時、水面に“謎の渦”が発生する。
この“渦”によって、水面の餌となるプランクトンは海中に引き込まれ、
ホッケ達はカモメに襲われず安全に餌が食べられる。
しかしこの“渦”にはもっと驚きの秘密があった・・。

中川さんがホッケ柱を利尻で撮影したのは8年前。
それまで毎年のように見られていたこの現象は、以降、なぜか利尻では見られなくなってしまった。
そして7年後。ついに奥尻でホッケ柱の再撮影に成功。
希少な映像もさることながら、この番組で注目を集めたのは、
ホッケ柱が何故出来るのか「渦に隠された驚きの秘密」を解明しようと試みた点だ。
この「驚きの秘密」こそ、中川さんが自らの「体感」から打ち立てた仮説だった。

中川さんは、あの「鳴門の大渦潮」の“渦”の中に潜った経験があった。「世界三大潮流」にも数えられる鳴門海峡の潮流は、日本で一番速い。
鳴門の渦は、この速い潮流と海峡両岸の緩やかな流れがぶつかって出来ると言われている。しかし、他にも違った形の“渦”があることを、命がけの撮影で中川さんは「体感」した。それが「下降流による渦」だ。
渦によって下降流が出来るのではなく、下降流のあるところに渦が出来るのではないかー。観察している学者ではわからない、
実際に体験した者だけが得られる感覚だ。

この時の感覚が、7年前、利尻で「ホッケ柱」を見た時に甦ってきた。
「ホッケは自分たちがくるくると回って渦を作っているのでない。
下降流を作って渦を作っているのではないか」
この仮説を立証するため様々な実験を試みた。
かつて「ウリナリ」という番組でシンクロナイズドスイミングを撮影した時に
スカーリングで渦が出来た事を思い出し、再度、選手の渦を撮影しに出かけた。
研究者にも意見を求めようとしたが、素人の意見に耳を貸す人はいなかった。
唯一、中川さんの仮説に「おもしろい」と力を貸してくれたのは、なんと竜巻の専門家だった。

こうした地道な積み重ねを、海のカミサマは見逃さなかった。
見られなくなって久しい「ホッケ柱」が奥尻で見られることが確認され、
番組企画が成立。撮影にも成功し、中川さんの「仮説」は学者の手によって「論文」となり
発表されることにもなった。

『バカバカしいこともたくさんやってきたけど、
結局、無駄なものはないんだよね』

渦潮だけでなく、滝壺にも、心霊スポットにも、サメのいる海に潜った。
流氷の下では、クリオネを口に含んでもみた。
命知らずのように見える撮影も、実は綿密な調査に裏打ちされている。調査会社で培った視点と、過酷な環境を厭わない精神力と行動力は、きちんといきている。

『もとから臆病だし、女々しくて根性ないから、渦潮だってサメだって恐かった。だから、悔しいから、やる。ここでやるのがバカだけどさ(笑)。コワイと思った時に
自分がどう立ち向かうか。そこがおもしろいんだな』

多くのバラエティー番組にも携わってきた。
「日本テレビ・元気が出るテレビ」では、本当に河童にコスプレして出演したこともある。
最近では、“とったどー!”でブレイクした「テレビ朝日・黄金伝説」も担当。
撮影するだけでなく、撮影時期や場所の選定、タレントの安全管理まで様々なサポートもしている。

『“バカ”がつながってきたから、これから楽しくなるんじゃないかなぁ(笑)』

河童の嘆きを聞け

中川さんがこの道を志すキッカケとなった気持ち、それは大自然を残したかったから。
世界各地の自然をカメラに収めてきた。
中でも、今では入れないイスラエルの紛争地帯で、川の上流から下流まで、
まるごと1本撮影したことや、カナダ・ニューファンドランド諸島でししゃもの産卵の撮影中、
普通は入れない魚の群れの中に入って一緒に泳いだことは印象深く残っていると言う。

では、日本は、中川さんの目にどう映っているのだろう。


『東京湾は再生に向かっていると、みなさんは思っているかもしれないけれど、
僕から言わせたら、電力供給がなくなったら三日でドロドロに戻りますよ。
あちこちに濾過装置があって、単に莫大な電力を使って浄化しているだけですから。
それできれいなだけで、実際はかなりきわどい。僕はそれを主張したいですね』

学生の頃から憂えてきた地球環境。
自分が出来ることは、どんなところへでも潜って、現状を映し出して伝える事。
キレイなところを見せる反面、なくなってきている現実を出していく以外にないと
中川さんは語る。

『川の水が汚いなと思うと、上流に必ずダムがある。
必要ないだろうと思うところにも護岸工事がしてあったり、砂防ダムになっていたり。
日本の川は99%そんな感じ。
海は海で、人が住んでいないところまで護岸工事してコンクリートだらけですしね』

会社の名前に「河童」とつけたのは、そんな思いからだ。

『河童は、川の、ちょっとだけ恐ろしい、ぞくぞくっとするようなところにいる。そんなところに潜りたくて、それが楽しみだったけれど、日本でそんな場所はもうほとんどなくなってしまった・・。
昔はいたのに、住めるところがなくなったから河童はいなくなったんじゃないかって思うと、手遅れだけど、忌々しくてね。それがちょっと悲しくて河童にしたんです。だから、河童って言うとひょうきんなイメージに思われるけど、河童は悲しくて、今は、ちょっと怒った河童なんだ』

格好つけずに自然体で

今の仕事をなるべく長く続けたい。それが中川さんの望みだ。
最近になって、ようやく自分が思った事がピタリとはまるようになってきた。
イメージを経験値が後押ししているのだろう。体力と経験値のバランスがちょうど良い感じ。
だから、仕事がさらに面白くなってきたという。

『楽しいうちはずっと続けたいね。体がダメになったら、
自分の目標を落としてでもすがりついてやっていこうと。
生きているうちは未練がましくやっていたいよね(笑)』

「散り際の良さが男の美学」というけれど、中川さんは、そんな格好はつけない。
自分が好きなものだからずっとやっていたい。素直に、ただそれだけ。

そうは言っても体が資本の仕事。体力維持は欠かさない。週に3回のランニングと水泳。趣味の沖縄空手も稽古を続けている。一つだけでなく、なるべくいろいろなトレーニング方法を取り入れ、まんべんなく体を使うようにしているのだと言う。それも、自然に、無理なく、苦しくなく。

『昔は嫌だったけれど、今は老化防止にストレスを体に与えた方が良いのかなと思って。精神的な老化防止は・・・やっぱり仕事かなぁ。(笑)』

良い画を撮ったら喜んでくれる人や見てくれる人がいる。なんて素敵な仕事だろうと思う。
仕事も自然も同じ事は二度と無い。一期一会。
だから楽しいし、覚悟もいる。

どこまで続くかわからないけれど、
しぶとく、長く、水と共に暮らしていきたい。
飄々と語る中川さんの顔に、一瞬、住処を追われた河童の顔が重なって見えた。



中川隆さん

●水中カメラマン
中川隆さん TAKASHI NAKAGAWA

東海大学海洋学部水産学科卒業。
卒業論文は沖縄県八重山郡黒島における
オニヒトデの生態研究。ダイビング歴30年以上。
使用タンクは控えめに見て3万本くらい。
株式会社日本スキューバ潜水、株式会社スガ・マリンメカニックを経て、2006年3月より有限会社河童隊を設立し、今に至る。
現在はテクニカルダイビングの技術を使用した水深100mまでの大深度水中撮影も手がけている。

業務資格:
潜水士・救急再圧員・小型船舶一級 アーク溶接・ガス溶接・玉掛け技能講習終了

●KAPPA WORLD
http://homepage3.nifty.com/KAPPA-NAKAGAWA/index1.htm

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