トラムは何度も到着しては折り返し発車していった。
終点の停留所で落ち合おうという約束だったが、もう3時間近く待っている。
前の町のユースホステルで出会ったイグチとノリカはお互い気ままなひとり旅だったから、
次に滞在する町についてもすぐに意気投合し、
待ち合わせの場所と時間を決めて、ノリカが先に出発してきた。
すっぽかされたかな？という気がしなくもない。
会えなくても困りはしない、どうせ行きずりのオトコだ。
この町で再会したら盛り上がって何らかの展開もあるかもしれないが、
それはそれで面倒な気もする。
せっかくすべての人間関係から解き放たれてアメリカまでやってきたのだ。
３週間の放浪を経て、あと1ヶ月あまりぶらぶらするつもりだった。
素性もよく分からないオトコに煩わされている場合じゃない。
時間だけはたっぷりある自由旅行とはいえ、待ち続けるにはもうタイムリミットだ。
さすがに夏の日差しもそろそろ傾き始めていた。

「誰か待ってるの？」
日本語で尋ねられたような気がしたが、話しかけてきたのは60歳くらいのアメリカ人の運転手だった。
片道15分を何度も往復運転しているうちに、ずっとそこに座っているノリカが気にかかったのだろう。
休憩時間なのか仕事が終了したのか、
代わりの運転手が乗り込んだトラムを見送ると、ノリカの隣に腰掛けた。
「日本人の男性が向こうの終着駅に居たけど」
あ、そうか、往復のトラムだから、
お互いに終点の場所を取り違えていたのか。
「今度トラムが戻ってきたら、向こうまで乗っていけばいいよ」
「ご親切にありがとう。助かりました！」
「ドウイタシマシテ」
今度は本当に日本語だった。
「日本語話せるんですか？このあたりには日本人、あまりいないんじゃないかと思ったのですけど」
「昔、横浜に住んでいたけど、日本語はもうほとんど忘れてしまった」
Ｔシャツの袖をめくりあげて、わずかに筋肉の名残のある左肩をかざして見せた。
そこには、相合傘に「タロウ、ミヨコ」と描かれたタトゥーがあった。
「ボクがタロウ。ミヨコが僕の奥さん」
「奥さん、日本人なんですか？」
「ミヨコが死んで、アメリカに戻ってきた。大昔の話。」
彼の話す英語はまるで日本語のように、しっとりしみじみとしていた。
見た目は日本と何のつながりも無さそうなごく普通の初老のアメリカ人。
遠い東洋の国から戻って、毎日片道15分移動するだけの仕事を何十年続けてきたのだろうか。
ごくありふれたアメリカ人として、
新たな家庭を作ってこの小さな町で坦々と暮らしているのだろうか。
記憶は遠くなっても、タトゥーは消えない。

トラムが戻ってきた。
「さあ、行きなさい。エンジョイ　ユア　ライフ！」
肩を押されて立ち上がった。
もっともっと遠くまで行ってみよう。