マチコは高校卒業後5年間勤務した地方銀行を辞めると、繁華街のど真ん中で
一人暮らしを始めると同時にイベントコンパニオンの派遣会社に登録した。
そこで3ヶ月の研修を受けるが、コンパニオンの仕事が殺到するとは思えないし、
いっそこの派遣会社の内勤事務員として働かないかと誘われ、その申し出をあっさりと承諾した。
真面目な勤め人生活に飽き飽きして当分は気ままなアルバイト生活を楽しみたいのかと思いきや、
派遣会社においても得意の事務処理能力を発揮して頭角をあらわす。
するとたちまちその派遣会社を運営している親会社から声がかかり、
正社員として引き抜かれることになる。
そこは音楽イベントの興行会社だった。
銀行員としてのキャリアをあてにされて、最初はチケット販売に関わる経理担当だった。
煩雑な経理をこなした上でまだまだ余力がありそうだったためか、
早々にコンサート会場の手伝いとして外に連れ出されるようになる。
芸能界とはかなりずれた地味さと折り目正しさが上司たちの信頼を得るところとなり、
大物ミュージシャンＦの全国ツアーのサブマネージャーに抜擢される。
Ｆはその会社が抱えるドル箱スターだった。
3ヶ月におよぶツアーに同行したマチコは…。

偶然が重なってＦと出会ったわけではない。
マチコは「そのとき」を虎視眈々と狙っていたのだった。
中学生の時からＦに憧れ続け、Ｆこそ自分の運命の人だと勝手に思い定めていた。
地方都市の中小企業のサラリーマンの家庭に育ち、これといった取り柄も無く、
平凡な容姿・能力しか持ち合わせない一介のファンがどうすればＦをモノにできるか。
まずは堅気な仕事について、
失業しても1年や2年は自由に暮らせるだけのお金を貯めながら、計画は練られた。
高卒の銀行員が、いきなり畑違いの音楽イベントの一流会社に就職する道は険しかった。
だから門戸の広い子会社の派遣会社へアルバイト登録というところから始めたのだった。
周囲から見れば思いがけない幸運な展開のようでも、マチコにとって自分の人生は一直線だった。
「大物ミュージシャンＦが元銀行ＯＬと結婚！」
まもなく派手な見出しが全スポーツ紙の一面に躍るはずだった。

ふったのはマチコの方だった。
青春時代を埋め尽くした人生計画を棒に振ることになるのに、
それでもＦとの結婚に踏み切らなかったのは何故なのか。
「Ｆ変態説」も取りざたされたが、Ｆの才能と名声と財力は「変態」ごときで
結婚を躊躇させるものではなかったはずだ。
少なくともマチコがそんなことに今更たじろぐはずもない。

Ｆをふってわずか数ヵ月後、マチコは中学時代の同級生と結婚し、
マチコが育った団地によく似た２ＤＫの社宅で、２人の男の子を生み、
ごく普通の主婦におさまってしまった。
気が済んだのか、あるいは、もしかしたら…
この結末までが、マチコの一直線の人生計画だったのかもしれないな、と時々思う。